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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)244号 判決

理由

原告合資会社主張の一ないし三の事実は、被告株式会社が自白したところである。

被告株式会社の債務免除の抗弁につき判断する。

被告株式会社が抗弁として主張する(一)の事実の内、(2)の契約が成立し、原告合資会社がそれを承諾したことを除くその他の事実は、原告合資会社が自白したところである。

成立に争のない乙第二、第四、第五号証の各記載によれば、昭和三二年九月一六日、前記徒二会館に於て開催せられた被告株式会社債権者総会に於て債権者委員により決定せられた、同年九月一三日現在に於ける被告株式会社の債務額五二、一一七、四五一円の四割二〇、八四六、九八〇円を別紙添附の債務返済表に基いて、各債権者に支払うことにより「一切之を解決する」旨の承諾書に、債権者三六名は署名又は記名捺印し、同年九月三〇日開かれた被告株式会社の債権者委員会に於て、被告株式会社の債権者委員会は、同年九月一六日の右債権者の決議により、債権者らは、同年九月一三日現在の債権五二、一一七、四五一円の四割を、昭和三七年九月一二日迄に取立てることを更めて確認する旨の書面(決議書)が作成せられ、その書面及び右承諾書には、原告合資会社の代表社員石田秀男(以下単に石田秀男という)が自ら署名捺印したことが認められる。

又証人大滝清、同関口庄市、同遠山輝一、被告株式会社代表者本人(以下伊藤恵十郎という)は、右承諾書に「一切之を解決する」という文言は、伊藤恵十郎被告株式会社の社員遠山輝一、その債権者である大滝特殊印刷所、吉野香料株式会社のみならず、各出席債権者は、すべて、残余の六割の債権を免除する趣旨と諒解したと供述し、特に伊藤恵十郎は、石田秀男は、昭和三二年九月未頃、伊藤恵十郎から前記承諾書の文案を示され、同年一〇月三日徒二会館で開かれた債権者会議に於て、債権者の代表者株式会社佐々木香料店の代表取締役佐々木佐謹吾の承諾書の趣旨の説明がなされた後、他の債権者と共に残額六割を免除することを承諾したと供述するけれども、これらの供述は、次に認定する事実に照し、たやすく措信することができない。

即ち前記乙第四第五号証の各承諾書に添付せられた「債務返済計画及び再建案」には「債務返済計画とその計算(案)」が添付せられ、その「(5)当初五カ年間に返済する計画の債務額」には、52,117,451×0.4=20,846,980なる記載があり、当初五カ年とは、昭和三二年九月一三日から、昭和三七年九月一二日迄を指すことは、自ら明である。従つて被告株式会社としては、当然その後の弁済を為すことを前提として、右返済計画が建てられたと解釈することが、妥当な解釈である。事実、証人藤島俊の証言によれば、中小企業診断員である藤島俊は、昭和三二年九月八日頃被告株式会社の倒産後の経営について診断を求められ、諸種の資料を綜合した結果、再建可能と判断し、同年同月一六日開かれた債権者委員会に於て、債権額の四割を五カ年年賦とし、残額六割は棚上げにすることが再建の為必要と考え、自ら、前記「債務返済計画及び再建案」を起案し、残余の六割については、最初の五カ年間はその支払を猶予し、五カ年後に於て債権者らが更めてその支払方法につき協議すべきこととし、債権者委員会に於てその旨を説明したことが認められる。のみならず、前記乙第二号証によれば、昭和三二年九月三〇日開かれた被告株式会社の債権者委員会の決議書には、右債権額四割を昭和三七年九月一二日迄に取立てることを確認したのみで、残額六割については何等決議が為されていないことが認められる。

更に証人椎名栄太郎、同岩瀬進、同大橋良弘の各証言、石田秀男本人尋問の結果によれば、石田秀男のみならず、椎名硝子工業株式会社の代表者椎名栄太郎、岩瀬香料株式会社の代表者岩瀬進、有限会社大橋紙函製作所の代表者大橋良弘及び昭和三二年一〇月三日の第二回の債権者会議に出席した債権者の何名かは、昭和三二年九月一六日附で作成せられた承諾書に「一切之を解決する」なる文言の趣旨は、被告株式会社が当時倒産に瀕していた為、それを再建する手段として、各債権者が債務の弁済を猶予し、かつ第二会社として株式会社八重椿本舗を設立して、再建及び債務の弁済に努力し、昭和三七年九月一二日迄、五カ年に亘り、その債権額の四割を年賦弁済し、残余の六割債権の弁済は、右四割の債務の弁済が完了した後、更めて債権者間で協議することとして、当面、被告株式会社を倒産させ、現金、売得金、取立金を分配するか或は再建させるかの問題を一切解決するという趣旨に理解していたこと、石田秀男は、昭和三二年一〇月三日の第二回債権者総会迄に、数回に亘り、債権者委員会を開き、債権額の六割は免除するものではないことを伊藤恵十郎に伝え、前記承諾書には、その後、右の趣旨の下に、署名捺印したことが認められる。

乙第六号証の二の記載証人遠山輝一の証言及び伊藤恵十郎本人尋問の結果により成立を認め得る乙第一一号証の一ないし三の各記載によれば、石田秀男(但し石田英男と誤つてタイプ)が、被告株式会社の債権者委員代表名義を用い、昭和三三年一〇月一七日附で、各債権者に対し、被告株式会社の第一回配当金を届ける旨の挨拶状が作成せられ、それが同年同月中に、各債権者に第一回配当金が支払われる前、又はそれと共に配布せられたこと、石田英男名下の「債権者委員会」なる印判は、石田秀男自身の指示により遠山輝一が注文作成した印判によつて顕出せられたことが認められ、伊藤恵十郎本人は右挨拶状及び領収証の原稿は、予め、石田秀男に呈示し、その承認を得た上印刷せられたものであり、挨拶状の石田英男の下の印は石田秀男自身が押捺したと供述するけれども、石田秀男本人は、自分は、右挨拶状の原稿は見せられたが、領収証の原稿は見せられた記憶がない。その頃、残債権額六割を免除するという別の文案を見せられ、それを拒否したことがある。右挨拶状の石田英男名下の「債権者委員会」なる角判は押捺した記憶がないと供述し、伊藤恵十郎の右供述は、にわかに採用し難い。

証人大滝清の証言、伊藤恵十郎本人尋問の結果によつて真正に成立したと認める乙第六号証の三ないし三一、第七号証の二ないし二五〇の各記載によれば、被告株式会社に対する債権者である三幸放送広告株式会社外二八名の債権者は、昭和三三年一〇月頃、被告株式会社から、債権額の四割の五分の一の第一回配当金を受領し、受領金額の次に「但し会社整理発表に伴い、昭和三二年九月一六日附承諾書並に整理案に基き、当時貴社に対して当方が有したる債権額金  円の内四〇%金  円を五カ年に均分弁済したるときは、其余を免除する約旨による第一回配当金」と不動文字を以て印刷した領収証に、それぞれ、該当債権額及び受領金額を記載した上、記名又は署名捺印したこと。大滝特殊印刷所は、昭和三三年一〇月頃、被告株式会社から、第一回配当金として、自己債権額の四割の五分の一に相当する金額の配当をうけ、その余は免除したと解釈していた為、それで満足していたこと。株式会社大久保製壜所外二三名の債権者は、昭和三七年一二月頃被告株式会社から、第五回配当金を受領し、別に不服はなかつたことが推認せられるけれども、それだからと言つて、原告合資会社がそれらの債権者と同様に、残額六割の債権を免除したと認めることはできない。現に証人大橋良弘の証言、及び乙第六号証の一九の記載によれば、有限会社大橋紙函製作所の代表者は、前記但書を印刷せられた右領収証の但書を読まずに、第一回配当金を受領し、その後、他の債権者から、領収証に右但書が附けられていることを注意せられたことを認めることができる。

被告株式会社訴訟代理人弁護士脇田久勝は、昭和三九年六月三日の口頭弁論期日に於て、前記承諾書(乙第四、第五号証)、領収証(乙第六号証の三ないし三一)の文案は、何れも自分が起草したものであり、後者に、「四〇%を五カ年内に弁済したときは、その余の六〇%を免除する旨の約旨による第一回配当金」なる法律的に正確な用語を用いたに対し、前者に於て「一切之を解決する」なる、換言すれば法律的にはあいまいな文言を用いたのは、一般人に判り易い表現をとる目的であつたと釈明したが、当裁判所はむしろ、同弁護士が前者に、右のような多義的な表現を用い、後者に於て、法律的に正確な表現を用いたことは、それによつて、承諾書をとり、後日配当に際して、六割の免除を明かに表現しようとする意図に出でたものと解釈せざるを得ない。前者に、不明確な用語を用いたからこそ、本件のような紛争を生じるに至つたのであり、もし前記承諾書に「一切之を解決する」という文字を用いず「残額六割を免除する」という正確な用語を用いれば、本件の紛争を生じる余地はなかつたと考えられる。或は、六割を免除するという文字を用いれば、前記承諾書は作成せられなかつたかも知れないけれども、それは、被告株式会社が、債権法を支配する信義誠実の原則に従つて折衝したならば、当然招来すべき結果であり、自己の責任に帰すべき問題である。

これを要するに、昭和三六年九月一六日原告合資会社が被告株式会社に対し残債権六割を免除したとは認められないから、被告株式会社の抗弁は失当として排斥を免れない。

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